みやびね・・・より
H18.3.11
 昨年8月中旬から9月中旬にかけて、佐倉の国立歴史民族博物館にて「紀州徳川家伝来の
雅楽器の展示」が行われました。ご覧になられた方も多いことと思います。

 さて、国立歴史博物館においては、十年程前に同様の楽器の展示会が開催されましたが、
今回は雅楽器に焦点を当てた展示会で、文化財クラスの名品などが鑑賞できました。会場
では雅楽のビデオが流されるなど、初めての方々にもわかりやすい親切な展示の方法で
雅楽器全般が紹介されておりました。

 なかでも、笙・篳篥・笛は楽家(雅楽を家芸にしている家系)伝来のものが多く、山ノ井家
など現在では家系が切れてしまった楽家の楽器達も展示されておりました。

 ここに見られる楽器達は、単に演奏の為の楽器という域を超えた文化的な価値で評価さ
れておりますが、それぞれの装飾美にみる工芸・美術品としての高い完成度をそこに見る
ことが出来ます。これらの名品を徳川治宝の審美眼に注目しなければいけませんが、徳川
時代に次第に廃れていった雅楽の世界とそれを支えてきた楽家の凋落を窺い知ることが出
来ました。

 雅楽千数百年の伝統の中では、江戸時代とて安泰の時代では決して無く、前代に興った能楽
や庶民達の芸能文楽や箏曲など、雅楽を取り巻く日本音楽の世界にも世代交代の時期を迎え
ておりました。
 そんな時代を同じくした彦根藩・井伊家第十二代藩主 井伊直亮(いいなおあき)も、雅楽器の
蒐集・能楽衣装の蒐集など、治宝と同じく楽器蒐集というマニア的な蒐集癖をそこに見ることが
出来ます。また、徳川家の老中職にあって、後に「楽翁」と号された松平定信は「集古十種」を
編纂し、古典楽器のすばらしさを世間に広めました。松平定信公は、田安宗武の子として(田安
宗武は八代将軍吉宗の実子)、父宗武の教えを守り、雅楽の笙・笛・舞などを幼少の頃から習
い、鞨鼓もよく演奏したといわれております。田安宗武は徳川家につながる家柄にあって、こと
のほか、雅楽に対しての愛着が強く、雅楽の演奏を自ら行い、廃絶してしまった楽曲の復元研
究・・・という研究者としての側面も有しておりました。

 現在伝わる「楽曲考」という宗武編の書物には、懐古趣味だけではなく深い考察力を持って、
失われた楽曲の復元演奏を行い、定信公が任ぜられた奥州白川藩では、転封されるまで藩の
行事の度に雅楽・舞楽が盛んに行われていたと言われております。

 話題がだいぶ外れてしまいましたが、江戸期にあって式楽としての能楽が主流ではありまし
たが、王朝趣味の雅楽を愛して止まない士族も多かったようです。


                         雅楽雅鳳会会誌「みやびね」第七号より抜粋
                                               雅鳳会事務局